最終話.ひとりだけの退院という門出

闘病ブログ

47日に及んだ入院生活は終了。晴れて退院といきたいところだが、関西にいる家族がコロナに感染し、ひとりきりの寂しい門出となった。

辞任届を提出済みなので、退院後すぐにマンションや車も会社に返却する。雇われ社長に残るものは、役員持株会で積み立てた僅かばかりの自社株くらい。

2月28日(月)退院までのカウントダウン

紆余曲折がありながらも、無事、退院日を迎えることができた。後遺症が無い状態で出れることは、病状の経過からすると奇跡的にも思えた。多くの方に支えて頂いたことに感謝しかない。

退院は事務窓口が始まる9時以降になる。昨夜は21時頃に寝て5時過ぎには起きたので、それから身支度をして、3時間以上やることがなかった。

本を手にしても何か気ぜわしくて、頭に入ってきこない。少し興奮していたのかも知れない。いつもなら妻が車で迎えに来てくれるけど、コロナの濃厚接触者になったので、電車で帰ることにした。

コロナの影響で病棟での患者間の交流はほとんどなかったので、退院の挨拶をする相手も数えるほど。看護師さんや清掃スタッフの方々に挨拶して回った。

病院玄関の自動ドアをようやく跨げた

そうこうしている間に退院時間の9時を迎えた。一歩たりとも外出が許されなかったので、病院玄関の自動ドアを跨いだときは込み上げてくるものがあった。

病院を出てすぐのところで、退院の記念写真を撮った。自撮りすることに一抹の侘しさを感じたが、退院できた喜びでそれも吹き飛んでいた。

2月28日、真冬日とは思えない暖かい日差しがあり、気持ちの良い船出となった。

電車で帰ろうと病院直結のJRの駅に向かい普通電車に乗車したものの、一駅進んだところで降りることにした。日差しが気持ち良かったから、外を歩いてみることにした。

吹田駅で途中下車して江坂のマンションまで1時間近く歩いた。街の様子は入院する前とほとんど変わっていないけど、何もかもが新鮮に感じられた。無機質な病室から開放され、ひとや自然からエネルギーを存分に感じとれた。

マンションに着いて、すぐに着替えて会社に顔を出した。今週は自宅療養して、残務処理のための出社は来週からと伝えていたが、事務的な手続きが必要なことがあり行くことにした。

1時間ほどで、事務作業を済ませて帰宅した。明日はエントリーしていた産創館の経営アドバイザーの採用面接が入っているので、近場で食事を済ませて早めに眠りについた。

3月1日(火)娘が緊急来阪

昨夜、福岡で働いている娘からLineがあった。大阪にいる家族から、ひとりでいることを聞きつけて、急遽福岡から来てくれるそうだ。どうやって仕事の調整をしたのか分からないけど、素直に嬉しかった。

ということで、今日は気分よく産創館の面談に挑めた。産創館の入口で家族報告用に自撮りした。振り返ってこの写真を見ると、ネクタイが大きく曲がっていて、顔色も真っ青でとても採用してもらえる雰囲気ではなかった。

それでも、病み上がりということを考慮して頂けたのか、経営サポーターとして登録してもらえることになった。帰りは、久しぶりに大阪のビジネス街を歩いて目が眩んだが、これもリハビリと自分に言い聞かせた。

昼過ぎには江坂のマンションに戻って着替えを済ませ、娘を迎えに新大阪駅に向かった。新幹線乗降口から娘が出てきてハグされた瞬間、涙が溢れた。

退院後、家族と会うのははじめてだったので、何か特別な感情が湧き上がってきた。

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娘が描いてくれた病室飾り用のイラスト

妻もPCR検査で陰性になり、晴れて濃厚接触者の隔離期間が明けた。明日、能勢の古家で合流することになった。

家族で陽性者が出た長男家族や東京で暮らす次男とはまだしばらく会えないけど、こうして徐々に普段の生活が戻ってくるのだと実感した。

3月2日(水)能勢の古家に久々の帰宅

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自作のウッドデッキで久々のコーヒー

これまでの趣味の別荘としてではなく、生活の拠点となる能勢の古家にやってきた。ウッドデッキで薪ストーブを焚いてコーヒーを飲んだ。

退院して家族と合流し、落ち着く我が家でコーヒーを飲むということが、どれほど有り難いことか、発病してからの3ヶ月で思い知ることが出来た。もう懲り懲りだけど病気のおかげだ。

闘病日記はこれでハッピーエンドのはずが、5日後に新たな困難に向き合うことになった。

健康診断で誤診事件発生

毎年、健康診断を受けたついでに、1年先の健康診断日を予約していた。その検査日がたまたま退院日の1週間後だった。

入院生活で、患部以外にも負担がかかっていたので、受診することにした。いつもの人間ドックで、健診後には医師の触診と速報ベースの結果説明がある。

その結果説明の場で医師から、膵臓癌の兆候があるから、健康診断の詳細なレポートを待たず、すぐに専門病院で精密検査を受けるようにと指示された。

ニュアンスとしては「恐れ」ではなく、「断定的」に聞こえた。

青天の霹靂とはこのことだ。癌治療で病院に逆戻りするくらいなら、何のために退院したのか。あのまま脳梗塞になって死んだほうが良かったと本心から思った。

仕方なく地域の拠点病院に向い健康診断の結果を見せて、精密検査を依頼した。すぐに検査してもらえると思っていたが、順番待ちで検査は2週間以上先になると想定外の返答が来た。

この2週間がどれほど長く感じられたか、ご想像頂けるだろう。退院後、ひと時の平穏が、脆くも崩れ去り、どんよりとした気持ちが支配した。

さすがに妻以外には、この事実を伝えることができなかった。悶々とした気持ちのの中、ようやく2週間が経ち検査を受けることができた。

膵臓癌の場合、大腸カメラとCTで検査するそうだ。はじめに下剤を飲んで、7回以上トイレに行って腸内を空っぽにする。

その後、大腸カメラで腸内を検査するのだが、腸内はきれいなもので転移は見られないと、その場で教えてくれた。

次のCTでも異常は見られず、結果的に膵臓癌どころか、悪いところは全くないという診断だった。健康診断時の所見は、エコーで腹腔内に溜まったガスが影響したのではないかと軽く言われた。

本当につらい2週間が終わった。1月4日に始まった左手の痺れが、これほど負の連鎖を引き起こして、生活を一変させるとは思いも依らなかった。

それでも、今後の生き方次第で、闘病生活の価値は再定義できる。単なる苦い経験に留めず、今後の暮らしを充実させられるよう活かしたい。

これからも、夢中になれることにチャレンジしていこうと思う。

おわり

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