人生における仕事選びに起承転結があるとすれば、約10年周期で訪れた仕事の転機が結果的に当てはまりそうです。
20代で飲食店を開業
20代前半で、バブル期であったこととや進学が叶わなかったことから、飲食業経営にチャレンジするという道を選んだ。
作家の高杉良氏がワタミ創業者の成功物語を描いた「青年社長」や長谷川耕造氏の自伝「タフ&クール」などを読み、自分もいつかは外食で成功してやると野心を燃やしていた。
結果的に11年間で3店舗を経営したものの、10年目に満を持して出店した3店舗目が大赤字で1年後には廃業の憂き目をみた。
26歳のときに店を経営しながら大学に入学し4年間、20歳前後の学生に交じって経営学を学び、外食経営に関連する不動産や簿記の勉強もして、理論武装したつもりになった。
大学卒業、渾身の力を込めて、企画書を書き上げて、銀行から融資を引き出した。加えて、10年間で蓄えた全ての資金をつぎ込んで出店した店はもろくも消え去った。
ここではその要因について詳しくは書かないが、今思い返せば、本質的な敗因は相談する相手がいなかったことに尽きる。
いくら理論武装したところで、ひとりの知識や経験はたかが知れている。飲食店経営には、気付きもしない落とし穴がいくつもあり、無鉄砲に前進した結果、見事に落ちたということだろう。
後に外食産業の大手企業に就職して、そのノウハウを知ることになるのだが、時すでに遅かった。
30代で飲食フランチャイズ本部に就職
店舗運営の失敗で、嫌と言うほど飲食店経営の無知を自覚した。そこで、当時、焼肉フランチャイズチェーンで躍進していた企業に就職した。
その企業は複数の業態を運営していて、はじめに配属されたのは、全国展開することが決まっていた新業態のオープン店長だった。
本部研修を受けて、晴れて店長として九州1号店の店長として赴任した。この業態はほぼ同時期に11店舗を全国で開業した。
しかし、知名度の無さからオープン当初は苦戦した。そこで活きたのが、10年以上自営で店舗を運営していた経営者意識だった。
他店の店長は良くも悪くもサラリーマン意識の店長だった。赤字でも自責の意識がなく、指示待ち状態で収益改善が遅々として進まない。
こちらはと言うと、赤字は一刻の猶予もない一大事に思えたから、矢継ぎ早に売上対策を実施した。販売促進部に依頼すれば、すぐに対応してくれるところも組織の強さだ。
売上と利益を真っ先に改善したことで、他店の立て直し役に抜擢された。その後は運も味方し、様々な役割を与えられ成果を出せた。
7年後には社長に就任し、20代の頃、夢見た青年実業家ではなかったものの、経営に携わることになった。しかし、2年後に株主と経営方針の違いから会社を去ることを決めた。
40代は外食を離れて中食産業に転身
外食はもう充分という気持ちと、同業だと経営者には競業避止の制約がつきまとうので、自重した面もある。
記憶にある方もおられるかも知れないが、某寿しチェーン本部の元社長が逮捕されたのも本質的には競業避止義務違反だ。
前職のFC本部はベンチャー的な企業で、ボトムアップを通り越して放置的な経営で、様々な企画書を書いたがほぼ全て承認されて、やりたいようにやれた。
一方、再就職した中食FC本部は当時一部上場の老舗企業で、創業者が40年を超えてワンマンで経営している典型的なトップダウン経営だった。
株式も過半を創業家で保有していた。前職が株主の変動で混乱した苦い経験があったので、この企業を選んだ。
ここでは、企画を上げたところでトップの方針で左右されるのでそれは控えた。その代わりに、加盟店(中小・零細企業)の経営力強化に注力した。
加盟店の経営管理能力が向上すれば、複数店舗の経営が可能になり本部の事業拡大にも寄与する。しかし、経営力向上は主観的な指導や経験の押しつけでは、加盟店の共感は得られない。
そこで、中小企業診断士の勉強をしたり、週末の経営大学院にも通って経営を基礎から学んで、それを加盟店経営者の育成に活用した。
この時は純粋に加盟店育成のために学んだが、これが、後の中小企業支援に直結する知見となった。業務でもこういった活動を通して加盟店との信頼関係を高めたり、社長に就任したりする原動力となった。
入社7年目に社長に就任し、4年が経とうとした時に、もやもや病という指定難病を発症し、長期療養と後遺症のリスクが高かったので、代表取締役社長を辞任した。
50代、キャリアの集大成を目指して
20代から約30年間「飲食業」という事業領域の中で、それぞれ内容の異なる仕事に従事してきた。
それでも、異なっていると思っていた仕事が、「中小企業の経営支援」という、闘病後に選択した仕事で、点が線に結びついたように思えた。
意図した訳では無いけれど、導かれるように中小企業支援の仕事にたどり着いた。結果的に全ての年代での経験や知識を役立出ることができた。
個人経営で身につけた全ては自分事という経営者意識、ベンチャー企業ではボトムアップでの業務遂行、老舗企業ではトップダウンの業務遂行を経験した。
また、いずれの年代でもデメリットはあった。零細企業で相談する相手がおらず苦悩した日々、ベンチャー企業の株主構成の不安定さ、老舗企業の閉塞感など。
中小企業の経営支援で、中心的なテーマは創業者から後継者への世代交代や中間管理職の育成、評価制度の導入・見直しといった人材育成関連が殆んど。
これらのテーマは全て、20代から40代の経験が活かせる。世代交代は、トップダウン型の経営からボトムアップ型経営への転換を図ること。
中間管理職の育成は経営者意識をいかに醸成するかに尽きる。20代で身につけた唯一の強みであり、30代での業務遂行、40代での加盟店の育成とも重なる。
公的な中小企業支援機関のアドバイザー業務を受注するには、そもそも中小企業診断士の資格が必要だった。ここでも加盟店育成のために取得したことが役立った。
そして現在は、月に10日ほど公的機関の管理アドバイザーを務めている。また直接依頼を受けて3社の経営支援も行っている。
経営者の相談相手として、また、FC時代の中小企業への恩返しの気持ちも込めて、会社の一員だという気持ちで経営支援に取り組んでいる。
キャリアと人生について思うこと
最近はキャリアアップを転職活動と混同する風潮があるように思う。上辺の知見だけで、何かを掴んだように錯覚して、上滑りしているようにも見える。
壁にぶつかるたびに迂回して、解決策を外部に求めて転職しても、人生におけるキャリアという線は繋がらないだろう。
天職と思えるような仕事に出会うには、その道を探求する必要がある。
様々な壁と本気で向き合うことで、本質的な問題に気づけたり、問題を乗り越えることで揺るぎない確信を得たりすることができるように思う。
そしてなにより、価値観を共有する仲間や仕事相手と信頼の輪を築くことが、人生を豊かにしてくれるように思う。
私自身は、中小企業の経営支援が仕事と人生の集大成になるよう今後も活動していきたい。



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