1.虚血(きょけつ)発作のはじまり

闘病ブログ

1月4日(火):虚血発作を発症

2022年の三賀日、成人してそれぞれ独立した子供達が能勢町のボロ家をDIYした別宅に集まり賑やかに過ごした。ここでの正月は初めてだったので、大いに盛り上がり、この幸せがいつまでも続くように思えた。

元日は大雪に見舞われたが、4WDハイエースのパワーの見せ所だと逆にはしゃいでいた。2人の孫も庭に積もった雪で、だるまをつくり初体験を楽しんだ。これからも別宅が家族の思い出づくりに一役担ってくれそうで、嬉しく思えた。

しかし、そんな幸せは1月4日に突然断ち切れた。前夜に別宅から吹田市の江坂にある通勤用のマンションに戻って翌日の初出勤に備えた。江坂のマンションは大阪の梅田に車で15分、電車で11分の江坂駅の近くにあり、飲食店や買い物施設も徒歩圏にあってとても便利で、能勢の別宅とは対照的な場所にある。

梅田にある会社への通勤を考えると平日はどうしてもこちらでの生活になっていて、4日も江坂のマンションから社有車で会社に出勤した。事始めということもあり、いつもとは異なる仕事の流れではあったものの、11年間勤務している会社でいつものメンバーで新年を迎えていることもあり、特にストレスがかかるようなこともなく仕事をこなした。

それが15時ぐらいになって突然、左手が痺れ出した。さらにパソコンのキーボードも上手くたたけなくなった。正月休みに食べ過ぎたから、少し太って腕時計がきつくなったのかなと思い、ベルトを緩めたら痺れも収まったので、気にもとめなかった。後で振り返ると、手が痺れることは過去にもあったが、キーボードをまともに打てなくなるということは初めてだった。

その後、帰社時間の18時になり、いつものようにオフィスフロアの奥からエレベーターに向かう通路でみんなに「おつかれさま」と言おうとしたのだが、呂律(ろれつ)が回わらず、もういちど言い直しても結果は同じだった。そうこうしている間にエレベーターホールについたので、そのまま帰った。家に着いてからは普通に話せたので、久しぶりに会社に行って疲れたのかなと思い早めにベッドに入った。

1月5日(水):急性期病院への入院

目覚めると体もすっきりしていて気分も良かったので、昨日のことはすっかり忘れていた。いつも通り身支度をして社有車で出社した。仕事も通常モードに切り替わり、慣れた仕事をいつも通りこなした。そして昨日、手が痺れだした15時が近づくとまたも、左手が痺れだした。

そして今日はさらに口元の左側も痺れだし、口元の感覚がなくなった。ちょうど歯医者で麻酔を打たれたときのような感じだった。立ち上がろうとしても左足に力が入らない。右手でデスクを押し下げてやっとの思いで体を起こしても、一歩も前に進めない。症状はどんどん悪化していく。この痺れが体全体に広がってこのまま死んでしまうのでははないかと思えた。

それでも、周りにいる社員に助けを求めることはしなかった。みんなに悟られることなく帰りたいという思いの方が強かった。なぜか分からないが、深層心理の中で、弱みを見せたくなという思いがあったのかも知れない。社長として知らず知らずに虚勢を張っていたのであろう。

一旦、席に着いてしばらく症状が収まるのを待った。幸いそれ以上症状が悪化することなく25分程度で治まった。すぐにネットを開いて脳神経外科を検索し、当日予約で直ぐにMRI検査が受けられる江坂のクリニックを見つけて予約した。会社からクリニックまで車を運転するのはさすがに危険だと思い、車を会社に置いたままタクシーで江坂のクリニックに向かった。

症状を事前に伝えていたので、クリニックは急患対応してくれた。到着して10分後にはMRIの中にいた。検査結果が出るとすぐに先生に呼ばれて診察室に入った。先生から開口一番、脳梗塞は現時点では起こっていませんと告げられた。しかし脳の大動脈のうちの1本が異常に細くなっていて、ほぼ血液が流れていない状態になっている。昨日から起こっている痺れや足の脱力は虚血発作が頻発しているために起こっている。

脳梗塞は虚血発作の延長線上で起こるものだから、いつ脳梗塞に発展し重篤な結果を招いてもおかしくない状態だと続けた。すぐに紹介状を書いて地域の急性期病院に入院の受け入れを要請するからタクシーに乗っていくよう指示された。

先生の話を聞いて驚きはしたものの、感じたことのない体の変調に、これは大事だろうと想像はしていた。だから冷静に受け止めることはできた。「分かりました、マンションに帰って入院に必要な荷物をまとめて行きます」と伝えたところ「なにを言っているんですか、そんな悠長なことを言っている場合ではありません、今すぐ行ってください」とたしなめられた。いよいよ自分の容態が尋常ではないのだと実感した。

妻にはタクシーでの移動中に電話をかけて事情を説明した。その話を聞いていたタクシー運転手も気が気じゃなかったのだろう、タクシーを降りる際「ありがとうございます」ではなく「お大事に」と言われたときは、思わず苦笑いした。

タクシーの車中では会社にも電話した。たまたま人事部長がいたので大まかな病状を説明し、しばらく会社を休むことになると伝えた。

タクシーを降りて病院の夜間通用口に向かうと、入口には既にストレッチャーが用意されていた。2人の医師と2人の看護師が周りを取り囲んだ。検査着に着替えさせながら様々な計器をつけはじめた。そのままCTと今日2度目のMRIを撮って診断結果を待った。

あとで先生から聞いたところ、緊急手術が必要か否かを調べていたそうで、検査前は手術の可能性の方が高かったそうだ。ただ、症状にムラがあり、病院に着いた時には少し安定していたようで、緊急手術は回避できた。

電話を受けて駆けつけた妻は、昨日の体調不良の話もしていなかったから、寝耳に水で混乱している様子だった。コロナ対策で妻は病室に入ることがでず、その場で顔を合わせただけで別れた。はじめの虚血発作から48時間が一番危険だということで2~3日は急性期病室で投薬と経過観察をして、合わせて手術に向けた検査を行うことになった。

4日の発作から既に28時間が経過していた。5日の帰社前に起こった発作は最初の発作から24時間後だったので、この時、脳梗塞まで進行しなかったのは奇跡的だったとも言える。デスクに戻ったあの時、発作が治まっていなければ何らかの障害を背負ってその後の人生を歩んだのだろう。

長い一日が終わろうとしている。初めての入院、点滴、今後の仕事・・・病室の天井には手術室のような仰々しい照明が設置してある。消えた照明を眺めながら、これからの人生がどう変わっていくのか、仕事はどうしようか、子供達には心配させたくないので伝えずに済ませられるだろうか、病気のことよりもそんなことが頭の中で堂々巡りを始めた。

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