昨日の虚血発作が起こる前の日、所属する中小企業診断士協会から1通のメールがきた。大阪産業創造館(以下、産創館という)が経営サポーター登録者を募集しているという。無職になっても社会との繋がりをもっておこうとエントリーした。
1月22日(土)週末の病室
発作が起こらない限り、土日は検査がないから暇をもて余す。痛みがあるわけでもないし体も自由に動く。頭も普通に働くから本を読んだり、テレビを見たりできるもののNCU(脳の集中治療室)は携帯が使えないのと院内であってもトイレ以外は部屋を出てはいけないので本当に困った。

やることがないから、産創館のエントリーシートを書くことにしたというのが本音だ。パソコンは使えたので一気に書き上げた。電波は発信できないから、送信は後日NCUを出てから行った。
脳が正常に働いているうちに書けたことは、あとの状況を振り返ると幸運だった。産創館では1次書類選考を通過すると2次面接があった。その予定日が2月後半で、術後2~3週間で退院するとギリギリ間に合う日程だった。
手術日は未定ながら、遅くとも2月初旬には手術が受けられると考えていた。もし、退院が間に合わなかったり、後遺症が残ったりしたら、そのときは諦めようと考えていた。
この頃、嬉しかったことと言えば長男が本や御当地ふりかけをたくさん持ってきてくれたことだ。入院時に欲しい便利グッズをネットで調べて持ってきたそうで、気が利くタイプではないのに、こういう時は別の顔が見れるものだと感心した。

病院で提供される白米はどうしても味が落ちるので、ふりかけをかけることで味の問題を和らげることができた。ふりかけは塩分制限がかかっていない患者にはベストアイテムだった。
1月23日(日)厳しい看護師さん登場
昨日、産創館のエントリーシートを書き上げたので、いよいよやることがなくなった。長男が持ってきてくれた本を読むといっても、読む体力にも限界がある。そんなとき、暇つぶしといっては叱られるけど、注目に値する看護師さんが現れた。
21時から深夜帯担当の看護師さんで「THEルールブック」と呼びたくなるぐらい厳格な人だった。全てマニュアル通りに仕事をこなしている。

真夜中でも病室に頻繁に出入りするので、こちらとしては寝ている暇がない。落ち着かない状態が続き、おかげで体感時間は早く過ぎた。寝不足になったとしても昼間に寝れば良いだけだから、暇つぶしにはもってこい。
とはいえ、携帯を覗いていたら案の定、注意されて危うく携帯を没収されてしまうところだった。他の看護師や先生も全く注意しないのに、流石THEルールブック、本領発揮して頂いた。
そんなことがあったから、ということではないが15時半ごろに虚血発作が起こった。国立病院に入院してからは初めてで、25分間も続いた。
ナースコールのスイッチを直ぐに押して看護師さんに来てもらった。前回の強烈な発作よりも、さらにパワーアップして襲いかかってきた。
このとき驚いたのは、医師が直ぐにはきてくれないということだ。看護師さんが院内専用電話で連絡してくれたのだが、電話越しに医師はそのまま様子を見るようにと指示した。
発作中に何か手当てができる訳では無いということなのか、しばらくしてから様子を見に来てMRI検査を手配した。結果としては脳梗塞に発展することなく、何とか持ちこたえた。それでもこの件を境に病院に対する不安が確信に変わったように思う。
1月24日(月)手術日決定
月曜日は土日にため込んだ治療や処置があるから病院は臨戦モードだ。慌ただしく医師や看護師が動いているのが見て取れる。朝の巡回時に主治医から手術日程が2月2日に決まったと告げられた。
昨日の虚血発作が手術日の決定を早めた。コロナの影響で手術スタッフの確保が困難で、手術待機患者が増えていて、症状の重い順に対処しているようだ。
その後、造影剤を使用したPET検査を受診した。動脈に注射を打つから抜いた後の圧迫止血がとても痛い。とりあえず、やり過ごして病室に戻った。すると巡回してきた担当医から気になることを告げられた。
左側の動脈だけなら経過が良ければ手術後2週間で退院できるが、もし右側もするとなると、およそ3週間延びるという説明だった。
全く意識していなかったことで本当に驚いた。心づもりを促す意図だったのか、それとも不用意に検査結果も診ずにいったのか分からないけど、患者にとっては一大事だ。雑談のような形で伝えることではない。
この件を主治医に確認すると、右側は大丈夫ですよとあっさり流された。入院生活では「もやもや」することが、病名以上に多くあるようだ。
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