こんにちは、リストランテ’tetsu’の闘病ブログです。
半年後に生活と仕事のパラダイムが変わるとは・・・
2021年6月後半、あと半年余りでもやもや病を発症するとも知らず、平日は仕事、週末はNose Baseへと充実した毎日を過ごしていました。Nose Baseの鍵の引き渡し後、倉庫のDIYベース化、家庭菜園の苗植えを終えて、さあ次は本丸のバイクガレージづくりだと図面を書いたり、資材を確認しに行ったりと忙しく過ごしていました。
もやもや病を発症するちょうど半年前という時期でしたので、ここで少しだけ仕事について触れておきます。経歴や履歴についてはリストランテ’Tetsu’のホームページに代表プロフィールとして記載しているので、そちらをご覧下さい。ここでは仕事に対する姿勢や思いといった部分にフォーカスしたいと思います。
余談ですが、仕事について
僕は1990年代に自営業で居酒屋を経営していました。このころはバブル景気が終焉したといっても外食産業は市場が拡大し、1970年代以降の第一次外食産業ブーム(ファミレスやファストフード等)に次いで総合居酒屋の若手経営者が頭角を現してきた時代です。
ワタミの社長をモデルに高杉良氏が書いた『青年社長』やグローバルダイニング社長の長谷川耕造氏が書いた『タフ&クール』を読んで、いつかは僕もと憧れたものです。自身も21歳の時に独立して自分の店を持ちました。月の利益がコンスタントに100万円以上あったので不自由なく暮らすことはできていましたが、チェーン店展開するような経営のレベルとはかけ離れていました。
転機が訪れたのは自営業が10年目に差し掛かったころです。酒販店の営業マンから京都の白梅町によさそうなテナントが出ているから2店舗目の出店をしてみてはどうかといった誘いでした。遅まきながらその時の前年まで立命館大学の衣笠キャンパスに通っていたので、大学のおひざ元である白梅町は土地勘もあり、学生やサラリーマンで賑わう街という好印象を持っていました。
そこですぐに出店を決めて3か月後には鉄板焼居酒屋をオープンしたものの、この店が大誤算の大赤字店となり、1年後には廃業に追い込まれました。この惨劇の1年についてはまた機会があればブログに書きたいと思いますが、今回はここまでにさせて頂きます。
夢破れて再起を目指す
そんなことがあり33歳の時に転職することになりました。その時も大手の外食チェーンで店舗運営を学び、再起してやるぞと意気込んで転職しました。転職先に選んだのは当時隆盛を極めていた焼肉牛角のエリア本部を運営していた(株)プライム・リンクという会社です。
親会社が(株)ベンチャー・リンクという会社で当時は外食フランチャイズ立ち上げ支援に注力していてサンマルクやとりでん、毎度おおきに食堂、とり鉄などいくつもの業態をフランチャイズチェーンとして世に送り出していました。僕もそういったノウハウを学びたいと素直に思いました。
プライム・リンクでは吾平という総合居酒屋の店長からスタートしました。本部研修で金沢に出向いて50日間みっちり教育を受けました。その時、一緒に研修を受けた同期の仲間や仕事を教えてくれたトレーナーと過ごした日々は孤独な自営業に染まっていた僕にとっては新鮮でとても楽しい思い出となりまいた。
心理学者のアドラーは対人関係のゴールは共同体感覚(他者を仲間とみなし自分の居場所が共同体にあると思えること)だといっていますが、まさにこの研修の場はそれぞれ違う立場でありながら、研修をやり遂げるという1つの目標に向かってそれぞれが貢献しあえる素晴らしい共同体でした。
自営業の廃業からプライム・リンク入社後に経験させて頂いたこの研修までの期間がもしかすると初めての覚醒体験であり、次にこの感覚を覚えたのが、もやもや病発症から退職後に至る期間だったのかもしれません。
10年単位で巡ってくる仕事の転機
プライム・リンクではその後、紆余曲折がありながらも10年間勤めさせて頂きました。自営業も11年で潮時を迎えたので、そろそろ次のステージに進んでも良いのではないかと考え、転職を決意しました。もうこの時点では自営業で再起するといった気持ちは消え去っていました。
次にお世話になったのが(株)ハークスレイです。ほっかほっか亭総本部と言えばご存じの方も多いかと思います。子供のころ土曜日になると部活が始まる前にお店に飛び込んで、のり弁当とシャケ弁当を2つ買ってそれを食べてから部活に出たものです。サッカー部だったのに吐き戻すことなく、エネルギーに変えられていたことは、内臓も相当若かったのだと思います。
そのハークスレイに転職した動機は外食に20年以上関わってきたので、次は同じ業界ではなく、少し視野を広げるためにも中食にチャレンジしたいと考えたからです。当時、ワタミさんがタクショク事業会社を買収し事業を拡大しているといったニュースも流れており、女性の社会進出も相まって、これからは中食の時代が来るという気持ちもありました。
ハークスレイでは店長からスタートというわけではなく、経営企画室長から始まり、マーケティングや営業を統括するような仕事を担当しました。接客重視のサービス業が長かっただけに弁当製造販売業の仕事脳に切り替わるまで時間を要しました。「感動の接客を!」といったことをキャッチフレーズに従業員教育に勤しんでいたものが、提供時間や作業効率、商品の安全管理、デリバリーの安全対策など、従来経験したことのない視点で業務を進める必要に迫られました。
とはいえ、新しいことのチャレンジする楽しさもあり、あっという間に10年が過ぎ、11年目に入った半年後にもやもや病を発症しました。また10年で大きな転機です。前回同様、次のステージに進む良い機会なのではないかと考え、手術と長期療養が必要なもやもや病と診断されて直ぐに退職を決意しました。そして現在に至っております。
閑話休題、このあたりで本題のNose Baseライフに話を戻します。
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