3.後遺症を見据えて代表取締役辞任を決意

闘病ブログ

1月8日(土)コロナ禍の面会事情

コロナの影響で病院には身内であっても面会すら許されなかった。できたことと言えば、エレベーターホール前にあるベンチ付近で家族が待機し、クリアガラスとオートロックで仕切られた扉越しに対面し、スマホで話すといったことぐらいだった。差し入れ等の荷物の受け渡しも看護師が中継し、直接家族とやり取りすることは禁じられていた。

もし、脳梗塞が起きて発話機能を失い話せなくなったら、と思うとせめて最後にそばで話がしたいと思ったけど、それは叶わなかった。ところが、手術待ちになることが決まるとあっさり退院できた。病院に戻るときは、コロナの再検査が必要になるものの、病院外で罹患することはやむなしと言うことだろう。

一時退院して江坂のマンションに戻ると長男がすぐに来て病状や今後のことを話した。夜には東京から次男もかけつけ、長男宅で食事会を開いてくれた。元旦に会って間もないけど、また違った心境だった。手術次第では、意識や機能に障害が残る可能性があるので元気な状態で集まれる最後の会になるかも知れないと思った。

1月9日(日)入院期間中の一時退院

江坂のマンションで7時に起床、久しぶりに自分のベッドでぐっすり寝ることができた。朝食をとり身支度を整え能勢の別宅に向けて妻の運転で移動した。昨日大阪入りした次男と初めて顔合わせした彼女を乗せて4人で向かった。

昼ご飯を一緒に食べて、庭の芝生でバドミントンをして遊んだ。子供たちが小さいころはサッカーボールやバトミントンを持ってよく公園で遊んだ。こんなことも最後になるかも知れないと思うと感慨深いものがあった。

次男が彼女を家に連れてきたのは初めてだった。昨夜も一緒に食事をして、気遣いが出来て、孫たちとも優しく接することができるお嬢さんだった。次男と結婚してくれたらいいねと妻と顔を見合わせた。

この日も一緒にバドミントンをしながらその思いが強くなった。病気を患い子供たちを守るという面ではパワーダウンしたけど、こんな素晴らしいお嬢さんが次男のそばにいてくれたら、これほど心強いことはない。

1月10日(月)やりかけの屋外テーブル

ウッドデッキをつくったあとの端材を集めてテーブルをDIYした。1枚1枚の板の厚みにばらつきがあるので、天板を平らにするのに苦労した。いつもなら、カンナとヤスリを使って平らになるまで根気よく補正するのだが、今回は揃っていないところも、天然木の風合いだと思うことにして大目にみた。病気前だったらピシッと揃えようとしたに違いない。それが病気が発症したことで、性格も少し変化しはじめたようだ。

ひとは未来があるからこそ、何かに拘ったり、より良くしようと頑張ったりできる。先がないと思えば、余程の人格者でない限り、投げやりになってしまうものだと気づかされた。この状態で会社に留まる訳にはいかないかも知れない。

1月11日(火)セカンドオピニオン

会社の仕事はメールで対応できる部分はこなしながら、病気の対応を優先させて頂いた。中途半端に出社しても、新たな仕事に取り掛かることもできないので、まずは病院を決めて手術を含めた入院の日程調整を進めた。

3連休で心の整理もついて、吹田にある国立病院にセカンドオピニオンをとりに行った。しかし受付で受診している病院の紹介状が必要だと門前払いを受けた。仕方なく出直すことにして能勢の別宅に戻ったのものの江坂のマンションに鍵を忘れて、こちらも門前払いをくらった。

バイオリズムが悪いときは大人しくしているに限る。この日は江坂のマンションで静養した。明日は入院していた病院で家族も参加して診察と手術日程やリスク等の打ち合わせがある。福岡で暮らしている娘もそれに合わせて急遽大阪に来てくれてた。

入院当初、子供に心配をかけないよう入院したことを伝えないつもりだったが、妻が早々に伝えていた。口止めが遅かったのだが、病院側も入院初日に別生計の保証人が必要なので、息子さんに連絡するようにと妻に言ってきたようだ。世知辛い世の中、患者の意思は二の次で、病院の優先順位だけで進んでいく。せめて家族に告知するか否かは患者の判断に任せて欲しいものだ。

治療費の回収リスクがあるのなら、前金で払ってでも、家族には知らせたくないという人もいると思う。しかし病院側には他にも家族に伝えないといけない理由があった。それも病院の都合ではあるが、手術等の承諾書が必要なのだ。

予期せず重篤な結果になった時のリスクヘッジなのだろう。プライバシーや人権が犠牲になっていると思うのはおかしなことなのか、病院のやり方に従うしか選択肢がないだけに、より理不尽さが募った。

1月12日(水)娘が見舞いに現れた

昨夜は江坂のマンションで24才の娘も福岡から合流し妻と3人で食事をして就寝した。先週末に大阪で暮らす長男と東京の次男と食事をしたので、これで手術前に家族と会うことができた。遠方で暮らす子供たちに心配をかけたくないという思いの方が勝るものの、こういったときに集まってくれるのは嬉しいものだ。

今回の診察は妻と長男、それに娘も加わって団体受診となった。コロナ禍なので診察室に入室できないんじゃないかと思ったがすんなり入れた。先生からMRIやカテーテル検査の結果をもとに病状と今後の治療方針の説明があった。

子供達ももう大人なので、それぞれが先生に質問を投げかけた。もやもや病のこともネットで検索してきたようで、踏み込んだ話をしていた。最後にセカンドオピニオンをとるために、紹介状を書いて頂くようお願いした。

その時、少し気まずい雰囲気になったものの、最近はそういったことも多いようで、当然の権利なだから、よく調べたうえで手術を受けた方が良いと同意してくれた。ただし、もやもや病は難病指定されているので、今日の診断時に申請書を書いてもらうことになっていたが、それについては手術を受ける病院の先生に書いてもらった方が良いとやんわり断られた。仕方ないので、あえてそれ以上突っ込むのはやめておいた。

難病指定の申請が遅れた結果、医療費でいうと20万円ほど多く支払う結果になった。はじめに行く病院選びは難しいものの、ここでは先見性が試されるようだ。ちなみに難病の申請書が「受理された日(承認日ではない)」が医療費減免の起算日になるので、申請は早いに越したことはない。

1月13日(木)手術前のタンデムツーリング

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娘が描いて持ってきてくれた似顔絵(病室用)

昨日の診察に続いて同じ病院で手術するのであれば、受けるはずだった検査予約があったが、セカンドオピニオンの絡みで今日はキャンセルになって帰宅した。

早く帰れたので娘と久しぶりに三宮までバイクツーリングに出かけた。娘とは折に触れツーリングキャンプやグランピング、温泉旅行などを楽しんでいた。手術後は手先に麻痺が残ればバイクも乗れなくなるので、最後のツーリングという思いでアクセルを握った。

ここまで、妻と2男1女の家族が出揃ったので紹介しておこう。妻とは同じ高校で出会った。サッカー部に所属していた2年生の時に新入生として部活先を見学に回っていた妻を見かけてマネージャーにならないかと勧誘したことがきっかけで知り合った。

21歳の時にいわゆるデキちゃった婚で、長男が生まれ、次男、長女の順に3人の子宝に恵まれた。
長男が11歳、次男が5歳、長女が3歳の頃に個人事業で失敗し、廃業後サラリーマンに転じた。当時、京都で過ごしていたが就職先の辞令で福岡勤務となり家族共々引っ越した。苦境に立った当時のことはさておき、この転職と転居が家族にとって大きな転機となったことは間違いない。

最も大きな影響は福岡への転居後1年足らずで大阪への異動が発令されたことだ。子供たちは長男が中学、次男が小学校に入学してまだ1年だったので、大阪に転校するのは精神的な負担が大き過ぎると家族で相談し、単身赴任を選択することになったことだ。

このあと一度転職したものの、家族の暮らし方を変えることがなかった。子供たちか大学を卒業して働き出すまで20年以上に渡って単身赴任が続いた。子供たちは仕事の配属で長男が大阪、次男が横浜、長女が福岡ですでに独立して暮らしている。妻とはもやもや病を患った今も大阪と福岡の2拠点生活が続いている。

この暮らしには家族が別々に暮らす一般的なデメリット、例えば二重生活による生活費負担増や家事や育児が分担できないといった反面、上手くいったこともあった。なにより家族関係は日々の生活による濃密さはないものの、1ヶ月に1回しか家族全員が顔を合わせることがなかったので、その分、相手をいたわることができた。また、たまに合うときぐらい笑顔で仲良く過ごしたいという思いが家族の風土として醸成されたように思う。

毎日一緒に暮らしている家族の方が些細なことで家族関係に致命的な傷を負い、口も聞かない、顔も見たくないといった気持ちになることもある。そういった面では、離れて暮らすメリットの方が、うちの家族にとっては大きかったように思う。

娘とバイクツーリング旅にいったり、長男や次男が結婚する前は、さして飲みに行ったり登山に出かけたり、子供たちとも仲良く過ごすことができた。転勤の辞令を拒む風潮や家族優先のワークスタイルがもてはやされているが、家族の幸せは接触時間の長さだけでは測れないことは疑いの余地がない。

1月14日(金)療養中の出社

久々の出社を前に熟睡することができなかった。23時にベッドに入ったものの2時に目覚めて、そのまま朝を迎えた。特に心配事があった訳ではないが、健康だったころとは異なる自分がいた。体だけでなく、心も弱くなっているように思えた。ジョギングや筋トレで鍛えていたので体力や持久力には自信があったのに支えを失ってしまった。

久しぶりに出社して社員と顔を合わせて席に着いた。オフィスフロアでは朝礼が行われていたので、ひとことだけ不在を詫びて席に戻った。いつもなら午後は店舗を巡回するのだが、キャンセルしてオフィスで山積みになった業務を矢継ぎ早に済ませた。今日は創業者の会長が不在で辞意を伝えることなく社をあとにした。

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