2月3日(木)不可解な手術の順番
手術の無期限延期を伝えられてから悶々とした日日々を過ごした。以前にも増して、窓辺に特設したデスクで仕事モードでいるように努めた。
午前と午後の3時間は、仕事をしたり書き物をしたりして過ごした。そうでもしないと病室で待機するだけのムダな時間が過ぎていく。企業経営に長く携わったせいか、ムダを極度に嫌う癖がはがれない。
今日変化したことといえば、隣に新たな入院患者がきたことだ。話によると、4日後に開頭手術を受けるそうだ。
先生には来週から1日あたりの手術数を制限した状態で手術を再開するとは聞いていた。重症者優先たまから、順番はどうなるか分からないという話だった。
そういう状況下で、緊急ではなく、はたまた発作が頻発しているということでもない患者が、手術日が確定した状態で新たに入院してくることについては理解に苦しむ。
無論、この患者の責任ではない。問い詰めても仕方がないので、心のうちに留めおいた。大病院のやることは分かりにくい。ちなみにコチラの手術日は今もって未定で、出口が見えない。
2月4日(金)手術前にリハビリの準備開始
今日はリハビリセンターデビュー予定なので、いつもよりは朝からウキウキしていた。すると白衣を着た中年の女性が現れた。言語機能のリハビリを担当しているそうだ。
自己紹介もそこそこに質問が始まった。果物や動物のイラストを見せられて、その名前を答えろという。先生が先に発話して、それをオウム返しに答えるというテストだった。
今は脳が正常に働いているのでこの段階でテストをする意味があるのか疑問だった。もしここで応えられなければ、日常生活や仕事にも支障を来していたことになる。そう思うと少し緊張感が湧いた。
診断結果は異状なし。今後、脳の働きがどのように変化するのか、現在地を把握しておくという面では良い機会だった。手術後、この先生のリハビリを最も長く受けることになるとは思いもしなかった。

午後に待望のリハビリセンターデビューを果たした。本来、手術後に来るところだが、手術待ちが長引き体力の低下を防ぐ必要があった。また病室から出れない状態もストレスなので、先生に頼んで受け入れてもらった。
ランニングマシーンで軽く走りたいと思っていたが、先生の許可が下りなかった。虚血発作がたまに起こっていたことから慎重にならざるを得ない。血圧を定期的に計りながら2㎞ほどゆっくり歩くに留めた。
周りを見渡せば、懸命にリハビリに取り組んでいる患者の姿があった。頑張っている人を見ると、自然と励まされてモチベーションが高まった。この日は久しぶりに心地よい汗をかいた。シャワーを浴びてぐっすり眠ることが出来た。
2月5日(土)日課になった週末院内散歩
週末は外来診療が休みだから、病院はひっそりとしている。1階の外来フロアは無人で、さながら貸し切りの室内公園に変わる。30分かけて2㎞ほど歩いた。
昨日からリハビリを始めたので、昨日と同様、来院者用の血圧測定器で血圧の状態を確認しながら歩いた。体力が落ちて術後の回復が遅れないよう、体調を確認しながらトレーニングした。
2月6日(日)連日の自主トレで思うこと
昨日と同じように1階の外来フロアでルーティーンをこなした。コロナがまん延していなければ、週末は入院患者を見舞う人達でもう少し賑わいがあるのだろう。
今は荷物の受け渡しさえ面前ではできないので、人影もまばらだ。こんな状態で、病死される方の気持ちを察すると居た堪れない。家族と最期の瞬間に一緒にいられないのは、想像を絶する悲しみだろう。
2月7日(月)2回目の手術日決定
担当医が巡回して来て、2月10日9時から手術を実施すると告げられた。ようやく出口が少し見えた。手術実施に向けて、手術前の一連の検査を改めて行うということも告知された。
既に腕は点滴を打つ場所が見つからないほど痛んでいた。3日に1回、点滴の針を衛生上の問題から刺し替えるため、入院中、常に点滴はつけっ放しの状態で、検査ごとに動脈、静脈を問わずあちこちに針を刺すから、腕全体が黄ばんだような状態になっていた。
また、虚血発作を抑制するための大量の点滴と水分摂取により、排尿の回数が通常の5倍程度になっていて、尿道にも負担がかかっていて、この頃にはそういった器官の不調も感じはじめていた。
このような状態で、前回の手術前に行った検査をすべてもう一度、実施すると告知された。手術がようやく出来るという喜びとは逆に何ともやりどころにない気持ちになった。
とやかく言っても検査を受け入れないと手術はやってもらえないから諦めた。
この辛抱もあと3日、そう思えば前向きに捉えられた。
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